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56件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-05-28 第186回国会 参議院 原子力問題特別委員会 第4号

政府参考人森本英香君) 東電記念財団のことにつきましても規制委員会のホームページでアップされてございますけれども、実はこの東電記念財団と申しますのは、昭和十三年、東京電力東京電燈株式会社というふうに呼ばれていたときに、そのときの寄附によって設立された財団でございます。したがいまして、それ以降、東京電力から運営資金の提供は得ていないということでございます。

森本英香

2014-04-25 第186回国会 衆議院 経済産業委員会 第13号

今の、東京証券取引所の近くに、東京電力前身でございます東京電燈という会社日本初直流発電所をつくって、またその後に、電力需要が高まってもう一つ大規模な発電所をつくらなければという段に当たってつくったのが、私が今住んでいる浅草浅草発電所ということでございまして、デンキブランなど当時できたカクテルもございます。非常に強烈なカクテルでございますが、大臣もぜひ御賞味いただければと思います。

辻清人

1984-11-06 第101回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号

説明員山地義門君) 当発電所につきましては、先ほどございましたように、芦ノ湖から静岡芦ノ湖水利組合が引水しているわけでございますが、そのトンネルの出口で発電の取水をいたしまして発電水力有効利用を図っているということでございますが、大正九年に芦ノ湖水利組合と当時の東京電燈との間で契約書がございます。

山地義門

1984-03-12 第101回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号

さて、いささか私見を加えながら申し上げさせていただきますけれども明治十六年に我が国におきまして初めて東京電燈株式会社会社設立認可を受けまして、十九年には事業を開始しているわけでありますが、以来一世紀に及びますところの電力歴史というものは、これは近代日本文明史でもある、私はこういうふうに思うわけであります。

滝沢幸助

1968-05-06 第58回国会 衆議院 外務委員会 第17号

と申しますのは、私事にわたって恐縮でございますが、私の青年時代の思い出でございますが、学校を出まして、やがて東京電燈郷会長調査秘書になりまして、次には小林一三氏、平生釟三郎氏の調査秘書をいたしておりました。当時としては電力のことをやや深く存じておりました。戦争が済みまして、日本が廃墟になりましたときに、日本は海の国でございますから、原料を輸入し、製品を輸出する。

帆足計

1966-04-21 第51回国会 衆議院 法務委員会 第29号

これはおそらく昭和二十三年ごろ、いまの東京電力前身東京電燈が新しい株主を募集する場合に、非常に多数の応募者があって、一々申し込み書を出して希望者を募るということは手続上たいへんだったというようなあたりから、それならば発行されるものを、まず証券会社を介在さして、一応一括して証券会社の名前にして、そうしてそれを売っていくということをやれば非常に合理化されるんじゃないか。

阿部康二

1963-07-06 第43回国会 参議院 大蔵委員会 第32号

木村禧八郎君 東京電燈会社自体に残っておる外貨債については、それは外貨で返さなければならないことは当然なんですが、政府肩がわりした分については、円に肩がわりしたのですから、その後のインフレによって円価は著しく下落しているのですからね、そういう関係から著しくインフレ的な利益を得ていると思うのです。その間の事情をもう少し詳しく伺いたいと思う。

木村禧八郎

1963-07-06 第43回国会 参議院 大蔵委員会 第32号

したがって、現在残っておるものは外地にある外貨債でございますから、もし東京電燈なら東京電燈の債務のままで残っておるといたしますと、円貨債にかえたものはある意味で価値の下がりました円で払いますが、残っておる外債については今の時価で返さなければならないわけでありますから、電力会社自体として、そういう意味で、政府に肩がわりしたために非常に損を出すということにはならないかと思いますが、なお詳しく調べてお答えいたします

吉岡英一

1954-03-05 第19回国会 参議院 通商産業委員会 第17号

有価証券利廻り比較表、これには戦前昭和十一年の東京電燈利廻り、それからその当時の一般株式利廻り、それからその当時の社債の利廻り、それからその当時の定期預金利率、それを今日のそれぞれの利廻り定期預金利率と比較してある表でございます。これによりますると、戦前昭和十一年の東京電燈は、一年間に高値、安値の平均をとりまして五十七円六十二銭でございます。

小池厚之助

1954-02-05 第19回国会 参議院 通商産業委員会 第4号

これが一番簡単な全貌でございますが、これで御覧になつて頂きますと、これは地区別なつておりまして、その一番下の欄の右のほうに一一四・四、これが全国平均値上率でありまして、それを電燈電力というように分け、現行と新制度というふうに比較いたしますのがこの趣旨でありまして、例えば三行目の東京、電燈につきましては一割五分、それから電力につきましては一割四分というのと、一割六分五厘の二つ数字があります。

中島征帆

1953-12-12 第19回国会 衆議院 農林委員会 第3号

これにひとつ電燈をつけてくれぬかというと、これは古い東京電燈時代に立てた電柱だから、もう廃線なつているのだから、そこに送電するわけには行かぬ。それではとつたらどうだというと、とることもできぬ。もちろん使用量は払つております。電線はまだそのままひつぱられておりますが、それは中止になつているそうです。

川俣清音

1953-08-03 第16回国会 参議院 決算委員会 第18号

それから後者においては只今のお話であると、何か民間会社に照会して、そうしてこれをやつた、こう言うのであるが、東京電燈株式会社に照会したとか、或いはその他民間会社に照会したということでありますが、かような必要はないではないか。物を買うのに、いわゆる注文するのに、およそ買付先のようなものを聞いて注文するという、そのこと自体がすでに甚だ国税庁の態度が明朗でない。

平林太一

1953-08-03 第16回国会 参議院 決算委員会 第18号

それからついでだから百十九号も申上げておきますが、鉛の何か封印だというお話でしたが、これは東京電燈その他を照会して一軒しかないということでやつたのだ。従つて随意契約という、これは一般入札ではなかつたと思いますが、そうした結果百四十数万円という損になつたのですが、こういうことは常識上今日考えられない、一軒しかない、広い東京に。

平林太一

1952-12-22 第15回国会 参議院 通商産業・経済安定連合委員会 第2号

そんなわけでして、私どもが供給の責任を持つておる関係上、どうしてもこの電源は私の地区以外、即ち只見川、これは私ども会社前身である東京電燈時代から持つてつて、これは唯一の電源として私どもかあいがつてつたのでございます。その他信濃川にあつたものも今は開発してございます。私どもの唯一残つておる只見川に対しては十分なる関心を持ち、これを開発せんと努めたのでございます。

安藏彌輔

1952-12-19 第15回国会 衆議院 経済安定委員会通商産業委員会連合審査会 第1号

只見川筋の沼沢並びに只見川第二水路地点、いわゆる上田、本名両地点水利権は、昭和四年に前の東京発電福島県知事から許可を受けまして、東京発電東京電燈に合併せられましたので、結局東京電燈を経まして、昨年の五月の電気事業編成に至るまでは、関東配電が所有をいたしておつたものであります。東京電燈昭和八年の四月に只見川地点工事実施認可福島県知事に申請をいたしたのであります。

高井亮太郎

1952-12-19 第15回国会 衆議院 経済安定委員会通商産業委員会連合審査会 第1号

しかし全体から見ますと、先ほど時間がないので省略をいたしましたが、大体が前に東京電燈に所属しておりました阿賀野川の下流も再編成によりまして東北電力移つたというような関係から、普通の状態においては東北電力輸出会社であり、東京電燈輸入会社であるという状態なつておるのであります。

高井亮太郎

1952-12-12 第15回国会 参議院 通商産業・経済安定連合委員会 第1号

従いましてこの両者間の話合いもございまするが、今回の佐久間の開発につきましても、基本的な事項は、あらかじめ開発会社関係中部、東部、東京電燈三社の首脳部が集まりまして基本計画は相談して行く、その範囲内において現地の開発を行うわけでございまするが、その際に建設事務所長の資格においてする仕事につきましては、全部開発会社指揮監督を受けるということになつておりますので、中部との間に仕事の上で混淆はないものと

石原武夫

1952-12-11 第15回国会 衆議院 経済安定委員会 第7号

この前建設省の事務当局に聞きますと、従来持つてつた只見川の水利権東京電燈となり、東京電力となり、それが東北電力に変更されたについて大体四つの理由をあげております。第一は準備態勢が整つていること。それから第二には東北電力が好意的であつたという点。第三は地理的に見て旧東京電力の人々も東北電力におるから調査その他が非常によくなつておるという点。

下川儀太郎